23 x 17 センチ (全体)
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【狩野晴川院養信】1796-1846
江戸?後期の画家。晴川院,会心斎,恵心斎,玉川と号す。狩野伊川院栄信の子で,木挽町狩野家9代?目。文政2(1819)年法眼に,天保5(1834)年法A印となる。古絵巻類の模写などを通じて古典的なやまと絵の研鑽を積み,狩野派に新風を吹き込んで幕末の狩野派の重鎮となる。代?表作「源氏物語 子の日図屏風」(遠山記念館蔵)。2度にわたって統率した江戸?城障壁画制作(1839年西の丸と1845年本丸)の実態は,下絵と「公用日記」(ともに東京国立博物館蔵)によりかなり詳しく知ることができる。<参考文献>東京国立博物館編『江戸?城障壁画の下絵』。狩野山涯と名乗る時期もあるが詳細は不明?。
【岡田閑林】1775-1849
江戸?時代?後期の画家。安永4年生まれ。江戸?の人。谷文晁にまなび,花鳥画を得意とした。嘉永2年11月7日死去。75歳。名は武功,練,錬。字(あざな)は子豊,石補。別号に梯蔭。
【立原春沙】1814-1855
江戸?時代?末期の南画家。名を春(子)、字を沙々、春沙は号。水戸藩士で水戸学に貢献した立原翠軒の孫で、南画家・立原杏所の長女。画を父と渡辺崋山に学び、崋山門下十哲のひとりに数えられ、女性らしい繊細な花卉図が残る。
【月岡雪僊】
浮世絵師。川島雪斎門人。名は潔。月岡幡羽。後に月岡雪僊と改める。
久世侯の絵師となる。 画法師等琳の筆意を伝える。
【岡田鶴川】
江戸?後期の画家。江戸?生。閑林の孫。名は儀、字は民則、別号に佳日軒、通称を勇蔵。天保頃(1830~1844)の人、生歿年未詳。
【菊池容斎】1788-1878
江戸?末期から明?治初期の画家。江戸?の人。名は武保,通称量平。与力を代?々務める家に生まれたが,絵を好み,狩野派の高田円乗に師事。1825年(文政8)西丸御徒の役を退いて絵画制作に専念した。幕末の復古思想に影響され,明?君忠賢烈士500余人の画像を描き集めた《前賢故実》(1836)を著すなど,歴史故実を学んで歴史的主題を表現する分野を開拓し,小堀鞆音,松本楓湖らの近代?歴史画の先駆となった。
【中村轍外】
江戸?後期の画家、名公成、別号嶽蓮・無限道人。
【大田蜀山人】1749-1823
江戸?後期の狂歌師・戯作家。江戸?生。名は覃、字は子耜、通称は直次郎、別号に南畝・四方赤良・南極老人・杏花園等。狂歌・狂詩・狂文・洒落本・黄表紙・随筆等才である。特に狂歌は四方側の首領で、唐?衣橘洲と共に中興の祖といわれる。文政6年(1823)歿、75才。
【鈴木鳴門】?-1840
江戸?時代?後期の画家。江戸?の鈴木芙蓉の内弟子となり,芙蓉の子鈴木小蓮の死後師の養子となる。山水・人物画にすぐれ,また詩文をよくした。養父の跡をつぎ阿波徳島藩の絵師となる。阿波出身。本姓は近藤。名は積。字は一善。通称は清?次郎。別号に淡墨斎。
【大西椿年】1792-1851
江戸?後期の画家。字は大寿,号は楚南,別号は運霞堂,霞翁など。通称行之助。江戸?に生まれる。幕府米蔵を管理する役人で,浅草蔵前に住んでいた。文化6(1809)年江戸?にきた京都の画家渡辺南岳について円山派の画法を学ぶ。のちに谷文晁を慕い,諸派の画法を独習した。江戸?における数少ない円山派の画家として活躍し,特に亀の画に人気があった。弟子に明?治の洋画家川上冬崖がいる。60歳で没し,江戸?浅草の金剛院に葬られた。著書に『楚南画譜』(1834),『椿年画譜』(1829),『あずまの手ぶり』(同)などがある。
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