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<center> <font color="RED" size="5"> 令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。 </font> <br> <br> <font color="black" size="4"> 京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵<br><br> 自筆「源氏物語」の「東屋(あづまや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。<br><br> 「東屋の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明?石中宮の皇子・匂宮、そして大君(おおいきみ)に似た美しさを持つ浮舟とのきらびやかな恋物語が描かれている<br> </font> </center> <font color="black" size="4"> <br> 自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代?の第103代?天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。<br> したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。 大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代?後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。<br><br> </font>  関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代?後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代?将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代?・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示) <br> <br> <font color="NAVY" size="4">  出品した「源氏物語」は、南北朝時代?から室町時代?前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。<br>  自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代?に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明?。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代?が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。 </font> <b> <br><br>  大炊御門家は、平安時代?末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元?年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代?、経実の子経宗は平治の乱で平清?盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代?の当主で南北朝時代?から室町時代?前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。 <br><br>  旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代?の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。 </b> <br> <br> <b>  出品した「源氏物語」は東屋(あづまや)の内容の要旨<br> 『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。東屋の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする浮舟の恋物語を描いております。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする。八の宮のなきあと宇治にこもる大君と中の君の姉妹のうち、大君との結婚を望む薫の君(母は、前朱雀天皇の皇女・女三の宮)は老女房の弁たちの手引きで大君の寝所に入るが大君は気配に気づき隠れてしまう。大君と結ばれぬまま終わった薫の君は深い悲嘆に沈む。ある日、浮舟の母・中将の君はつてを頼って中の君の住む二条院に身を寄せる。 大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とし正室の間に生まれた姉妹であるが、浮舟は正室とは違う異母・母の中将の君の元?に生まれたため、父は認知をしなかった。浮舟が中の君の異母妹であったこと知る美しい女性であった。中の君を妻とする匂宮(今上天皇と明?石皇后の皇子)は、偶然邸内で浮舟を見つけた匂宮は浮舟に恋をつのらせる。薫の君は、大君とうりふたつの美しい浮舟が二条院にいることを知り、弁の尼の協力を得て宇治の山荘にかくまう。薫の君はかなわなかった大君を重ねて恋の思いをつのらせていく。 </b> <br> <br> <center> 自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜) <br> <br> 原本自筆上部に「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。「背燈は、灯を壁に向けて暗くする」で、「灯燭を後ろに向けて暗く、帳(とばり)を隔てて 言葉を交わすことはできません。」という意味。唐?の玄宗皇帝が絶世の美女・楊貴妃の霊魂のために帳(とばり)をもうけ、皇帝自身は別のとばりの中で楊貴妃のよみがえりを待ち続けたことを白楽天が漢詩にしたものです。篆書印は、薫の君が大君(おおいきみ)をしのびつつ、浮舟の中に大君の再来を望む生命の移行をこめたものとされている。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明?欄に記載 <br> (自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。) <br> <br> <font color="NAVY" size="4"> 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明?欄」に記載<br> </font> <br> <font color="RED" size="4"> 《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》<br> 「東屋」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。<br> 《自筆上部の「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。「背燈は、灯を壁に向けて暗くする」で、「灯燭を後ろに向けて暗く、帳(とばり)を隔てて 言葉を交わすことはできません。」という「白氏文集」の中の有名一節です。》 <br><br> </font> </center> <font color="RED" size="4"> </font> <center> <font color="RED" size="4"> 「額縁入自筆原本」<br> </font> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/azumaya/10B-gaku.jpg》"> <font size="4"> (自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)<br><br> </font> <font size="4"> 「自筆原本」<br> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/azumaya/10B-genpon.jpg"> <br> 自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。<br><br> 自筆上部の「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)<br> という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。 <br> <br> </font> <font size="4"> 《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》 </font> <br> <br> <font color="NAVY" size="4"> 自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)<br> <br> <br> </font> <b> 自筆が「古切」とされたのは江戸?時代?。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載 </b> <br> <br> <b> (1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。 </b> </center> <br> <br> <font color="RED" size="5"> 《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》<br> 《「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)<br> という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》<br><br> 《浮舟の母、娘の良縁を願う》<br> 《浮舟の継父・常陸介と求婚者左近少将》<br> 《よけに言ひ続くるに、》・・・・いとあさましく鄙ひたる守にて、<br> うち笑みつつ聞きゐたり。<br> 「このころの御徳なとの心もとなからむことは、なのたまひそ。<br> なにかし命はへらむほとは、頂に捧けたてまつりてむ。<br> 心もとなく、何を飽かぬとか思すへき。<br> たとひあへつして仕うまつりさしつとも、残りの宝物、<br> 領しはへる所々、一つにてもまた取り争ふへき人なし。<br> 子とも多くはへれと、これはさま異に思ひそめたる者にはへり。<br> たた真心に思し顧みさせたまはは、大臣の位を求めむと<br> 思し願ひて、世になき宝物をもつくさむとしたま・・・・《はむに》 </font> <br> <br> <b>(文責・出品者)<br> 「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。</b> <br> <br> <br> <center> <b> (2)・自筆の「原文の現代?語訳文」は次の通りです。</b> </center> <br> <br> <font color="NAVY" size="5"> 《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》<br> 《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋》<br><br> 《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の子・浮舟(大君と中の君とは異母姉妹)の良縁を期待する母君》<br> 《(仲人)「こちらでぐずぐずしておられるご様子ですと、ほかの方にとの<br> お気持にもなられましょう。<br> 私はただ、ご安心のいくご縁談をと、お取り持ち申しているだけです」<br> と、仲人は、実際長広舌に、いかにもよいことずくめの話をまくしたてるので、》・・・・・<br> まったくみっともなく田舎(いなか)びた常陸守のこととて、にこにこしながら聞いている。<br> 《九・常陸守、少将を婿にと望む、少将、浮舟の妹に心を移す》<br>  常陸守は、<br> (常陸守)「今さしあたっての御収入(みいり)などが心細いといった、<br> そんなことはお口になさいますな。<br> 手前の命のございますかぎりは、頭の上におしいただいてでもお仕え申しましょう。<br> ご不自由でご不満な思いなど絶対におさせいたしますまい。<br> たとえこの寿命つたなくて、途中で面倒を見てあげられなくなりましょうとも、<br> あとに遺す宝物や領有しております荘園の数々は、一つとしてほかに<br> 権利を争うような者がおりません。子供はたくさんございますけれど、<br> この娘(浮舟の妹)ははじめから格別にかわいがっております。<br> ただ心底から思いをかけてやってくださるのでしたら、<br> たとえ大臣の位を得ようと望まれて、世にまたとない・・・・・《宝物のありたけを<br> 使おうとなさったところで、こちらの手もとにそろわぬ物はございますまい。》 <br><br> 備考・大将殿は権大納言兼右大将で今上天皇と麗景殿女御の皇女・女二の宮を正室に迎えている薫の君。浮舟は桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の御子。八の宮の兄は源氏の君と朱雀天皇。浮舟は八の宮の娘であるが父の認知を受けなかったため常陸介の後妻となった中将の君の連れ子として常陸介の家で成長した。桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君、中の君姉妹と浮舟は異母姉妹である。このため大君と似た浮舟に薫の君が惹かれている。 <br><br> </font> <b>現代?語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没) <br><br> 備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。<br> </b> <br> <br> <br> <br> <center> <b> (2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。</b> </center> <br> <br> <font color="black" size="5"> 《The Eastern Cottage(東屋)》<br> <i> </i> </font> <b><br><br> 英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』<br> Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没) </b> <br> <br> The countrified governor had listened smiling. <br> "I don't care whether he has money or not. I can smother him in money. <br> Do you think I'd leave him short? <br> It's true I might die on him, but I've decided to leave everything, <br> land and warehouses and everything, to my Himegimi. <br> No one can say anything about her right to them. <br> I have all sorts of children, but she's far and away my favorite. <br> Just let him be good to her, and I'll see him <br> all the way, I'll make a minister of him. <br> <br> <center> <b> (2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。</b> </center> <br> <br> <font color="black" size="5"> 《東屋》<br> <i> 面笑容地听他,然后答道:“目下收入尚少之,<br> 全然不及。只要我生存在世,一定全力照,<br> 不要捧在掌上,捧到上我也意,<br> 里会叫他感到缺乏?<br> 即使我中途死去,不能照到底,<br> 我所留下来的宝物和各地庄,<br> 全此女所有,无人敢来争。我家有多子女,<br> 但此女从小就是我所特疼的。但得少将真心,<br> 即使他要使尽珍珠宝去求取大臣之位,我也能供无缺。 </i> </font> <b><br><br> 中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』<br> 豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没) <br> 注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。 </b> <br> <br> <center> <b> 「東屋の巻」原本の末尾(原本番号66-B)の印は、仙台藩第五代?藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印 <br></b> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/agemaki/agemaki-okugaki-rakkan-800.jpg"> <br> 左の写真が「源氏物語」東屋の巻の末尾(原本番号66-B)の押印。 <br> 写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀) <br> 家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代?藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。 <br> 冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「東屋の巻」末尾の拡大写真。 <br> 左上の篆書体は、「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)の押印。 <br> 篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款 <br> 写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款 <br> 右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行) <br> (奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。) </center> <br> <br> <center> <font color="#000000" size="4"> 自筆の疎明?資料等は、下記の通りです。<br> </font> <br> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/ukifune/4-okugaki-rakkan-600pix.jpg"> <br> <br> </center> <b> (Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)<br> </b> <br> <br> <center> <b> 「自筆の画像断層(MRI)写真」<br><br> </b> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/azumaya/10B-dansou.jpg"> <br> <b> (出品した自筆の「断層画像写真」(東屋の巻)MRI 50―10B<br> 自筆二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款 </b> <br> <br> <b> 「源氏物語」「東屋の巻」主人公・東屋の資料<br><br> 下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる中の君と浮舟。<br><br> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/azumaya/nakakimi-ukifune-kokuhou100.jpg"> <br> 「源氏物語絵巻 」東屋一(国宝)髪を梳かせている中の君(左下)と、<br> 女房に詞書を読んでもらいながら絵物語に見入る浮舟(中央上) <br><br> <br> </b> </center> <b> </b> <br> <br> <center> 「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」 <br> 「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」 <br> <img src="https://jooxbb.sakura.ne.jp/ohimikado-genji/kagerou/kagerou-hyoushi-650pix.jpg"> </center> <br> <br> <b> 1番上の写真は、第103代?後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)<br> 2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明?文庫・所蔵)<br> 3番目の写真は、第107代?後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図<br> 4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行<br> <br> <p align="left"> </p><br><br> <table bgcolor="#008040" cellspacing="3" cellpadding="9"> <tbody> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#11bbff" colspan="5"> 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#ffff55"> <font color="#000000" size="3">商品説明?(来歴)</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4">大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代?後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 <br> <br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#11ff11"> <font color="#000000" size="3">漢詩文</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4"> 原文上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。<br>源氏物語「東屋」原本に記されております。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「東屋の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「東屋の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。 <br><br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#11ff11"> <font color="#000000" size="3">漢詩の落款の意味</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4"> 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元?々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。  特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代?わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。  「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。 「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。  落款の「讃」の元?になるその原文の個所には、<br> 「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。<br> つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明?する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。<br> <br><br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#11ff11"> <font color="#000000" size="3">自筆の希少価値について</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4"> 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。<br>出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。<br>古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。<br><br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#ff3333"> <font color="#000000" size="3">断層(MRI)写真</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="NAVY" size="4"><b> 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。<br><br> </b></font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#bbddff"> <font color="#000000" size="3">寸法</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4">「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。<br><br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#99dd00"> <font color="#000000" size="3">「源氏物語」の自筆について</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="NAVY" size="4"><b> 1・筆跡の分析について<br>  国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。<br> 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。<br><br> 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について<br> 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和?38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代?から室町時代?前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明?した。<br>「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。 <br><br> 3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について<br> 近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。<br><br> 4・近衛基熙(このえもとひろ)について<br> 近衛基熙は、慶安元?年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。 承応3年(1654年)12月に元?服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明?暦元?年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明?暦2年(1656年)に権中納言、万治元?年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元?禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている </b><br> </font> </td> </tr> <tr> <td align="center" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4">HP</font> </td> <td align="left" valign="top" bgcolor="#FFFFFF"> <font color="#000000" size="4">近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。 出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ<a href="javascript:void(0);">「源氏物語の世界」</a>をご覧ください。<br><br> ツイッター<a href="javascript:void(0);">「源氏物語の世界」</a> も合わせてご覧ください。 </font> </td> </tr> </tbody> </table> </b> <center> <b> <br> <br> <font size="1" color="#FFFFFF"> 不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証? 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定</font> </b> </center>




不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款



「背燈隔帳不得語」白氏文集の有名な漢詩



仙台藩医・木村寿禎の落款



原本の断層画像写真



国宝・中の君(左下)絵巻を見る浮舟(左上)



東屋(源氏物語・国宝・拡大)



浮舟(今上天皇の皇子)をのぞき見る匂宮



浮舟の継父・常陸介と箏の師匠

  • x1086863031

  • 1

  • 没有明显的伤痕和污渍

  • 中标者承担

  • 04月30日 20:21:26

  • 05月03日 20:21:26

  • 有可能

  • 可以

?

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